■時の話題/特集-月刊ウッドミック300号発行に寄せて
 「ウッドミック300号に寄せて」 飯田工業(株)前会長 井本 二郎
 大いなる気概と情熱を以ってウッドミックを発行し、そして今日まで25年間続けてきたことは、外から眺めて いても凄いことである。
 私も、1978年から20年間に亘り、「イイダニュース」を発行していたが、情報媒体誌を定期的に出すのは本当 に大変なことだな、と実感している。
 当初、木材工業向けの有料月刊誌としてウッドミックが本屋の店頭に並ぶのを楽しみにしていたが、有料購読 者のみの配付ということであった。
 業界誌というものは時代によって情報の重点の置き方が変わる。住宅があり、家具があり、プレカット、建材 等々の情報は流れてきたが、木工機械の開発・研究の情報が段々と薄くなってきたように思う。
 業界紙誌の記者も以前は機械メーカーと業界の技術情報を繋ぐ役割があったが、なかんずくウッドミックは今 はそうでも無いようだ。
 さて、日本の木工機械工業の歴史は比較的新しい。私の識るかぎり、日本の木工機械は明治の終わりから大正 の初めにかけ、木工機械を国家政策として陸海軍省、鉄道省、逓信省などが輸入、国産化を推奨した。まさに黎 明期である。
 1914年(大3)に大阪の新日本商会が42インチの丸鋸を輸入し、大正中期には丸源や天龍によって、丸鋸も帯鋸 も国産化され、昭和初期より1935年(昭10)頃にかけて製材工場は丸鋸から帯鋸へと効率化し、製材工場も機械 化の端緒を迎えた。
 また1931年(昭6)の満州事変以来、アジア各地に日本が起こした戦時事変により、船舶の艤装や鉄道車輌など の他、軍需装備品の製造が要求され、特に東海地区を中心とした鉄工所で木工機械の生産が盛んになり始めた。 菊川、太平、飯田、服部、宮川、庄田等々を初めとした多数の工場が、逐次軍需管理工場として終戦まで全国各地 に展開されていた。
 1945年(昭20)に戦争も終結したが、国土は一面焼け野原になり政府及び占領軍は住宅復興を緊急政策として 掲げた。それによる簡易住宅の急増に合板と一般木工機械が必要になり、軍需から民需に転換された木工機械は、 即座に各地の木工機械商社を通じて木工所へ浸透していった。1948年(昭23)のドッジラインの金融引き締め政 策により全国一斉に、経済界は1950年(昭25)の朝鮮動乱まで停滞を余技なくされた。
 1951年(昭26)以降、朝鮮特需や戦後混乱の緩和により、日本経済も順次復興の兆しを見せ、住宅復興につれて 建具の生産も急務となり、全国各地の建具工場に一般汎用木工機械が次々導入されていった。1952年(昭27)頃よ りアメリカ木製品特需でブナ材を指定した発注があり、木工所のルーター機の新導入と木工機械の活用、さらに合 成樹脂接着剤の使用が一段と高まった。
 1955年(昭30)頃より超仕上かんな盤や四軸ほぞ取盤などが開発され、いよいよ建具の大増産時代が始まった。
 それと前後して家庭電器家具の木製品化や各種楽器の製造などに成形合板技術を付加し、1960年(昭35)から婚 礼家具の量産が開始され、1970年(昭45)より1980年(昭55)にかけて各種木製品の量産技術が高まっていった。
 その頃木工機械の展示会が全国各地で開催され、と同時にヨーロッパ、アメリカ、アジアの各地でも国際木材工 業機械展が催され、木工機械工業界は多大な刺激と資質向上を受けた。情報紙誌は左様なものの伝達に奮起し鎬を削った。
 1970年(昭45)頃より木材原料の多角化のため集成材、LVL、WB、OSB、MDF、FB等が台頭し、原料から製品の 製造販売までその知識を網羅することは、一誌の中では苦渋の想いだろう。
 ただ今後、地球温暖化緩和のために木材による炭酸ガス吸収が叫ばれている。そのためには循環型平地植林が都 市周辺に配置されるのが好ましい。とすれば森林の短期生長が望ましく、またその利用のため木質プラスティック や繊維抽出技術・合成技術などが一層促進されるに違いない。
 かように新しい方向が予見されるので情報誌も浅く広く伝達するものと、やや専門的に解説できるものが我々に も必要となってくるであろう。
 業界情報誌とはいうものの業界によって情報の中味が異なる。木工業界と高度な産業界とは自ずから違う。日本 全体としても情報のレベルが高くなっていると共に細分化してくる。
 ウッドミック誌を通じて、私が真に知りたい情報が即得られると迄はいかないが、私が知りたいと思う情報を推 察できるレベルで良いので、それらを深く追っていって欲しい。記者の皆さんにはそういう変化を良く勉強して頂 き、どういう諸々の情報が必要なのか、読者をリードするくらいの意気込みは必要であろう。
 ウッドミックよ、まだまだ先は長い。君たちの役割を果たされんことを!

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