ここでも30数名の方が亡くなった


ウッドミックニュース

読者を訪ねて
信州カラマツの利用に賭けた60年
14階建て木造ビル建築の夢を描き超大断面構造用集成材の開発へ
長野県の齋藤木材工業(株)を訪ねて

 ピーク時には約80億円を売上げていたという齋藤木材工業(株)(長野県小県郡長和町和田561、齋藤 廣社長、TEL 0268-88-2525)もリーマンショックの影響で、日本の他の多くの企業と違わず、不景気の中での苦しい経営を余儀なくされた。
 しかし近年、長年信州カラマツの利用技術と実績を着実に積み上げてきた会社力は、再び国家的命題とも云うべき国産材利用の需要拡大へ向けた「公共建築物等における木材の利用の促進に関する法律」基づく基本方針(平成22年10月4日農林水産省、国土交通省告示第3号)や国産材利用率50%を目指す社会的方向の中で、徐々に同社本来の地産地消老舗企業の実力を再び見せ始めている。
 地元、信州カラマツ専門の地産企業として超大断面構造用集成材を使った14階建て木造ビル建設を夢見る齋藤 廣社長率いる齋藤木材工業(株)に再度スポットを当ててみた。
▲齋藤木材工業褐テ町工場建築事業部事務所

 信州カラマツを扱って60年余。正に地産地消のパイオニア
 
 同社の創業は江戸時代末期の文久2年(1861年)に遡る。今からざっと150年前のことだ。
 初代、齋藤惣七氏がタルヤの屋号のもとに酒樽製造に着手したのを皮切りに、二代目の齋藤慶次氏、三代目の齋藤関太郎氏、四代目は分家して山一の屋号により樽類の製造販売を本家より継承する。
 五代目の齋藤 實氏が昭和23年4月に齋藤樽製作所として機械製樽を導入すると共に、地元の松材を利用しての建築材・造作用集成材製造に着手したという。昭和28年頃だと聞いている。
 昭和32年(1957年)6月に現在の齋藤木材工業(株)として法人化し設立。日本の高度成長の波に乗って建築集成材事業は拡大され、山一ブランドで住宅の設計製造まで展開する規模となった。
 更に六代目の齋藤 敏氏(現会長)の時、信州カラマツを使った大断面構造用集成材の開発と大型木構造建築物への取組みが始まった。
 平成16年8月からは齋藤木材工業(株)を七代目となる齋藤 廣社長が就任し、引き継いで現在に至っている。
 
製品の9割以上を信州カラマツで製造。あくまで地産地消に拘り続ける
 
 齋藤木材工業(株)は限りなく信州カラマツに拘り、地産地消と云う言葉が流行る以前から地域材の有効活用を実践し続けている。同社の主な業務内容を検索すると、まず@構造用集成材の製造と加工、A木構造建築物躯体の設計・施工、B構築物(木橋)の設計・施工が挙げられる。
 大型木造ドームから木橋まで、これまで信州カラマツの大断面構造用集成材(一割程度は地域産のスギ、ヒノキ等)を使った木構造建築物は数知れず、木造ドームが5件、木橋が59件、その他あらゆる用途の施設(一般住宅を含む)で1200件もの実績を持つ。改めて凄いなと感動すら覚えてしまう。
 「今頃、地産地消と云ってますが、私どもが元祖だと自負しています。地域の木材を何とか有効利用できないかと、他社さんが米松製品を製造していた時代から信州カラマツ一本で製品を造ってきました」と齋藤社長は語気強く語る。
 昭和30年〜40年代に掛けて、信州カラマツの用途は、基礎杭、土木仮設材、製函材であったが、時代と共に杭はコンクリートや鋼管杭に代わり、板製のコンクリート用の型枠は合板や鋼板製型枠に、梱包材はプラスチックや段ボールに代わった。加えて北洋材輸入量の増加で国産カラマツの需要が激減、新たな用途開発が必要となった。

▲集成材用のラミナ製造ライン
 この信州カラマツを何とか集成材として製品化できないかと齋藤木材工業では取組んだものの、信州カラマツはヤニが多く、施工後に割れや反りが発生し、狂うという欠点だらけの木材だった。そこで長野県林業総合センターと共同で人工乾燥技術の確立を目指し、カラマツ材は高温で蒸煮乾燥することでヤニの滲出を防ぎ、しかも割れの抑制も可能と云う乾燥法を確立した。この乾燥技術は長野県内に広く普及し、お蔭で
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《海外視察記》
ドイツ・フライブルクの環境共生の町づくりを視る
《ウッドミック「ドイツ視察ツアー」より@》

▲一際高くそびえ立つフライブルクのダグラスファー ▲黒い森の開拓は、修道院(写真奥)を中心とした農村形成に始まった

 フランクフルトからフライブルクまでは特急列車で約2時間。フライブルクに近づくにつれて、車窓から徐々に見えてきたのは、新緑鮮やかな緑と濃緑が入り混じった見事な混交林だった。(株)ウッドミック企画主催による「ドイツ環境共生都市と林業視察ツアー」の2日目は、森林環境コーディネーター・池田憲昭氏によるドイツの森林レクチャー。まず、セミナー部屋で一時間ほど森林の役割、ドイツの林業施業、日本林業の課題について講義を行ない、その後、フライブルクの森を散策することで講義内容を実地体験した。あいにくの少雨であったが、普段から散歩・乗馬・サイクリングなどで市民が多く利用するという林道は、雨のお陰か人影もまばらで、静かに散策を楽しみ、レクチャーを受けることができた。


◆まず、講義の場にて――日本は森にとって恵まれた土地
 森林を枯渇させた文明は必ず滅びている。中国、インド、ヨーロッパではギリシャやローマ。皆、森林を使い過ぎて枯渇させて、一度滅びている。イタリアやギリシャの森林は2000年前に枯渇してしまい、未だに土壌は痩せていて復活していない。
 ドイツの森林は南の方に偏っており、全森林面積は1000万haで森林率は30%。一方、日本は森林率が68%で、国土全体が森林で覆われている。
 日本には、天然林が1500万haと人工林が1000万haある。人工林はほとんどが戦後林で、今50年生、60年生にまで育ち、木を使わなくてはいけない時代になってきている。
 木の生長に必要なものは「光、水、土壌、空気」だが、日本は「光と水と土壌」の三点に非常に恵まれている。まず、非常に日照量に恵まれている。降雨量は大体平均で年間1500〜2000mm。ドイツ全体の平均が大体年間800〜900mmで、比較的雨が多いフライブルクでも山の上の方が2000mmくらいで、麓は900mm。更に、日本の山は腐葉土の層が厚くてとても肥沃である。土壌サンプリングのための器具が1mくらい簡単に突き刺さる。ヨーロッパでは、金槌で叩いて叩いてやっと30cmしか地面に刺さらない。
 そのような日本の森林を持続的に使用するためには、スギやヒノキなどの針葉樹と、広葉樹の混交林を目指すことが非常に重要だろう。
 森林を使っていく際に必ずやらなければならないのは、

◆インフラの整備が林業を安くする
 通常、車が通る道を作る時は、最短距離を結んで作る。しかし、林業に必要なのは最短距離の道ではなくて、面積をカバーする道だ。南ドイツではウィンチによる集材が主流なため、200m〜150m間隔で山を横断する道が入っている。ウィンチは長さが大体100m。80mくらいまでは上の林道へ引き上げて、残りは下の林道へ下ろしていく。更に急峻なスイスやオーストリアの山岳地域では、道は400m間隔で作られており、そういう所では架線集材を行なっている。
 つまり、インフラさえ整っていれば、林業は簡単に行なえるのだ。伐採場所まで直接車で来て、機械を設置して、チェーンソーで木を伐採して上に引き上げ、道端で造材して置いておけば良い。林道は安全な作業場であると同時に、土場ともなっている。土場は1ヵ所に集中せず、こういう形で分散しており、材をそのままトラックが運んで行くという仕組みだ。
 日本で過去20年くらいの間に作られてきた作業道は、土場が麓にあったり、中腹に大きな土場を設置したりして、土場と山を直線で結んでいる。こういった道は目的地までの距離は近いが、重機しか通れない。しかも重機は積載量が小さく、走行速度も遅いため、手間と時間をかけて土場まで木を運ばないといけない。集材コストが高くなるのはそのためだ。
 日本での伐採〜集材コストは約5000〜8000円/立米。原木はたくさん水分を含んでいて重くかさ張るので、それを運ぶにはとてもお金が掛かる。だから、コストが高いと言われている日本の林業を解決するための方法は、

【そして、黒い森を歩く……】
 「黒い森」の名は古代ローマ人が付けたそうだ。当時の森はとても広大で、ブナとモミの原生林だった。鬱蒼とした森で、緑々しい緑の森だが中に入ると暗い。山賊も出たりして暗い、怖い(=黒い)恐ろしい森だったところから名付けられている。
 その開拓は、11〜12世紀頃の修道院建設から始まったらしい。森へ続く林道の入り口には今でも修道院が残り、豊かな田園風景が広がる農村地域を形成している。昔は、森は権力者や修道院が保有していたが、ナポレオンのヨーロッパ制覇時に、自治体や農民に分け与えられたという。現在この地域では州有林が30%、自治体保有が20〜25%、残りは私有林となっている。ドイツで初めてFSC認証を取得したのがフライブルクの森で、5500haのFSC認証林が悠々と広がっている。
 まず目に付いたのが、講義でも言及された屋根型勾配の林道だった。雨の中での散策だったにも係わらず、水溜りが全くなく、舗装していないとは思えない程に、固い。30トンの荷を積んだトレーラーがここを走るそうだが、轍(わだち)一つ無い。道路両端の路肩には一面に雑草が生い茂っており、整然としていて可愛らしい花がたくさん咲いている。恐らくこの雑草ですら、水の貯留と散歩の人々の目を楽しませる目的で、人の手が入っているのだろう。
 基本的に森は天然更新されているが、若い木々が過当競争しないように、育てたい樹種や元気の良い木を選んで手を入れているそうだ。真っ直ぐで節のない材を作るためには、若いうちは密植させる必要がある。特に広葉樹は横に広がりつつ育つので、ヘクタール当たり一万本密植させないといけない。最初は上へ上へと伸びるように競争させ、下の方の枝は枯れさせて、樹高が15〜20mくらい(枝下高が6〜8m)になった時に周りを広げると良い材に育っていく。これが第一間伐となる。

また、同市の森には、外国の樹種を試験的に育てている一画もあり、そこには日本のスギも植えられていた。その土地に合う樹を選び、育てていく目的らしい。例えば、
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