ウッドミックニュース

企業を訪ねて
潟Iロチ 創業3年目を迎えて
構造用スギLVLが金物構法に出会うまでの長き道のり

                                              
 先月号既報のとおり、去る7月末、鳥取県境港市に新たに完成した木造二階建て店舗施設、妖怪工房「鬼太郎幽便屋さん」に潟Iロチ(鳥取県日野郡日南町下石見1829‐103 日野川の森林木材団地、森 英樹社長、TEL 0859‐83‐6123)のスギLVL(単板積層材)が構造材として使用された。同店舗は、潟Oランドワークス(富山県滑川市大榎452、大倉憲峰社長、TEL 076‐471‐2021)製のHSS金物が使用された金物構法による建造物。これまでも在来構法でスギLVLを使用した物件は施工されているが、金物構法としては今回の「鬼太郎」が初めてとなる。
 久々に訪れた潟Iロチの事務所内は少し蒸し暑く、扇風機の風が心地良かった。「上着を脱いで楽にしてください。ここはクーラーを使いません。工場内の現場の人達と同じ環境で過ごしています」とは、森 英樹氏。2006年1月に鳥取県日野郡日南町に設立された同社の代表取締役社長である。
 潟Iロチは日南町が国の地域再生法に基づく「地域再生計画」の認定を受けたことにより、日南町と森林組合が地元のスギを有効活用して町の雇用促進と活性化に繋げる目的で2006年に設立され、2008年春より創業を開始した(本誌2008年9月号にて特集記事掲載)。今では社員40名とパート10〜15名が、日南町の未来を担いつつ日々働いている。
 創業3年目となる現在、同社では世界初となる竃シ南製作所(愛知県大府市梶田町3‐130、筒井幹夫社長、TEL 0562‐47‐2211)製のLVL連続プレス機が稼働しており生産性がアップ。2009年秋には、構造用スギLVLのJAS認定も取得した(現在はE60、E70、E80について取得済み)。LVLが無垢材、構造用集成材とのせめぎ合いの中でどう生き抜いていくのか? その答えの一つが今回の金物構法との組み合わせであろう。
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講演
「木造住宅 生産システムの変化」
時代の変遷で変化してきた住政策から住宅産業が未来を生き抜く術を説く
潟Eッドフレンズ 代表取締役社長 前田和彦氏

 (社)日本木材加工技術協会中部支部(事務局=名古屋大学大学院生命農学研究科内、佐々木康寿支部長、名古屋市千種区不老町、TEL 052‐789‐4152)が開催した第6回ウッド・グッド・イブニングセミナーにて(7月号既報)、地元中部地区で地域に密着した住空間を提供し続ける潟Eッドフレンズ(名古屋市中区栄4‐5‐3、TEL 052‐249‐3503)代表取締役社長の前田和彦氏が「木造住宅 生産システムの変化」のテーマで講演を行なった。同氏は昭和44年に名古屋大学農学部林産学科を卒業(第一期生)。その後の住宅産業の今日までの変遷を、時の世界・経済情勢に絡めて分かりやすく説いてくれた。
 『これから』を測るには、『これまで』を知ることが必要です。

【昭和30年代】
 昭和36年、「所得倍増計画」により工業都市へ人口の大移動が始まった。日本の住宅産業が産業化されるプロセスの始まりと言える。土地区画整理法、日本住宅公団、宅地造成等規則法といった日本の住宅関連の法律はこの頃施行され、色んな法律の骨格はこの辺りで創られている。当時はまだ集団就職が行なわれており、村落社会の崩壊がここから始まっていく。日本の家長制度もこの辺りから崩れ始めたように思う。
 住宅産業にとって一番のポイントとなるのは実は住宅金融公庫だった。この頃はまだ住宅金融公庫は抽選制で、国民皆に行き渡らなかった。当時、住宅を産業化した企業は、殖産、電建、大平といった割賦販売住宅会社だけだった。プレハブ住宅が昭和34年頃から始まり、昭和40年前後にはミサワホームが出てくるが、この頃はまだ小さなレセプトハウスのような家で、現在言われるような住宅とは少し異なっていた。
 そして木造業界は「技能の時代」であり、徒弟制度がまだ残っていた。当時の大工の日当は大体1500円くらい。柱1本の値段もそれ位で日当と1対1の時代だった。一般住宅を建てる人もまず材木屋さんに頼みに行き、そこで大工を紹介して貰い、大工を通じて左官屋を紹介される……それぞれの職種に対して家を建てる人が直接支払っていく。昭和30年代はこういう形で家が造られていた。
 植林政策はこの辺から急激に行なわれ、昭和35〜36年からベニヤの上に印刷した新建材も出現。この流れが後日大きな影響に繋がっていくことになる。

【昭和40年代】
 この時期は私が社会へ出た頃でもあるが、一番大きな経済要因にドルショックがある。このため日本は一次産品を輸入するようになり、その頃から日本の木材はあまり伐られなくなった。私は昭和45年に両親の家を増築したが、当時既にニュージーランド材や米材がかなりあった。この頃から輸入材が増えて、日本の木材が横架材として使われることは少なくなったのだろう。
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(文責=編集部)
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